2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

古代苗字の当麻(とうま)の起源とは、 当麻←唐間(とうま)←唐間(からま)←韓間(からま)、間は場所の意味で、韓は韓国(からくに)を意味するから、当麻とは韓国(からくに)出身の集落をいう。「とうま」と読むすべての古代苗字も同じ起源となる。

つづき

つづき、 五山記考異に「檀那報国寺殿前伊予守家時従三位義恩大前定門、康永二年(1343)癸未二月二十一日逝」とあるが、家時の義父重房は建長四年(1252)宗尊親王に供奉しており、是より九十年後に死すでは年代があわない。 実際に、立会った者が書き残したの…

つづき

つづき、 相承院文書に「弘安六年十二月二十三日、鶴岡八幡宮供料所下野国足利荘粟谷郷寄進状焼失のことにつき足利家時に訴ふ。・・・」とあり、足利系図によると、父頼氏が弘安三年四月七日卒であるから、(家督は譲っていないので)これでは父と同年輩にな…

つづき

つづき、 足利氏系図あるいは古文書が偽作。 茂木和平氏、天下の将軍家系図がこのようでは他の武家系図も信用できないと述べている。 足利氏系図(続群書類従)「足利三郎頼氏(弘安三年没(1280) 三十三)―家時(文保元年(1317)切腹三十五)」で家時は父没後…

地名の足利(たり、あしかが)の起源について

地名の足利(たり、あしかが)の起源について、 足利(たり)←多羅(現在の慶尚南道の陝川(ハプチョン))出身を意味する。 足利(あしかが)←阿子加曷(あしかか、あこかか)←阿胡加曷と強引に解釈すると、阿羅(現在の慶尚南道の咸安)ノ国渡来人、伽耶の…

つづき

名字の小林、 例、平姓秩父氏流小林氏、上野国緑野郡小林村(藤岡市)より起る。佐野本・秩父系図に「秩父下総権守重綱―河越重隆―能隆―小林次郎重弘」と。重弘は荏原郡小林村(大田区)より起る説がある。 那智大社文書・小林氏系図によると本名(苗字)は天…

本日は、古代苗字の小林

本日は、古代苗字の小林、 小さな林(ひやし)の意味ではない。 小林←胡林(こばやし)、林は、読みが同じ、拝師、拝志、波也之などとも書く。渡来人の百済人林(りん)族である。 茂木和平著埼玉苗字辞典より。

再出、古代苗字の後藤

再出、古代苗字の後藤、 名字(在名)の後藤は、後の藤原として名乗った。 古代苗字の後藤(ごとう)←呉唐(ごとう)←呉唐(くれから)←呉韓(くれから)で、伽耶諸国の呉(くれ)国の韓人(からびと)の意味、呉国出身の毛野氏に率いられて渡来した。

本日は、古代苗字の小口、国分の起源について

本日は、古代苗字の小口(こぐち)、国分(こくぶ)の起源について、 小口←国地(こくち)、国分←国部(こくぶ)で、 それぞれ、国氏の集落、集団をいう。

茂木和平著埼玉苗字辞典の蔵書状況について

史学科の学生さんへ、 茂木和平著埼玉苗字辞典は、 関東各県の県立図書館だけでなく、全国の、史学科のあるほとんどの大学の図書館に蔵書になっているとのことです。 ご興味のある方は一度閲覧いただけたら、と思います。

古代苗字の草磲とは?

古代苗字の草磲(くさなぎ)とは? 草を磲(なぎ)倒して開墾した土地の意味ではない。 草磲←草那城←伽耶那城で、草は朝鮮半島の伽耶(かや)の国を指し、那は国、城は都を意味するので、 草磲とは伽耶出身の集落をいう。 意味が全然変わってしまいますが、 …

つづき

つづき、古代苗字の小暮とは? もちろん、小さく(ほそぼそと)暮す人々の意味ではない。 小暮←国秔(こくらい、こくれい)または国羅(こくら)のら行母音転訛で、国氏あるいは国・骨の地出身の集落をいう。 全く意味が異なりますが、どうでしょうか?

本日は、古代苗字の二宮、小宮の起源は?

本日は、古代苗字の二宮、小宮の起源は? 二宮は、一宮、二宮、三宮の二番目の宮(神社)の意味ではない。 二宮←二見谷←仁未谷(にみ_や、じんみ_や)←秦未谷(はたみ_や)で、秦氏未族の集落をいう。 一方、小宮←小見谷←胡未谷(ごみ_や)で、 渡来人未…

つづき

つづき、 渡来人の国氏は、二字の制により、国井(コクイ、クニイ)、国枝(コクエ、クニエ)、小久江、小倉(コグイ、コグエ)とも称する。小倉(オグラ)は、小倉←大倉(オオクラ)←大狗羅←(オオクラ)←大狗耶(オオクヤ)と解釈し大ノ国(後の百済)の狗…

百済の八大姓

百済の大姓、五世紀頃に百済国の土着の大姓として、百済の支配層の姓氏は、隋書・百済伝に「国中大姓有八族。沙氏、燕氏、秔氏、真氏、解氏、国氏、木氏、苗氏」と見える。 北九州市小倉北区、小倉南区があるが、 古代苗字の小倉とは、小倉←国羅(こくら)で…

つづき

つづき。 また、近江国浅井郡の鵜匠足立氏が吾妻鑑に登場。鵜(う)を別名アタといい、鵜飼の居住地を阿陀地と称する。これにより、名字(在名)足立を名乗った。本名は饗場(あいば)ではないかと。新平家物語(吉川栄治本)の一節を茂木和平著埼玉苗字辞典…

安達氏のつづき

安達氏のつづき。 先の安達氏とは異なる一族の足立氏が吾妻鑑の一巻から登場。足立右馬允遠元(平家物語にも登場)で足立郡領主職。 この人は、また別の一族の武蔵国造族足立郡司系図(足立郡司判官代で有名)には見えない。 つづく。

訂正します

訂正します。 朝鮮半島の草羅(匝羅)は慶尚南道の梁山、 よって、芹沢とは鉱山・鍛冶の地である梁山の出身をいう。

芹の付く古代苗字の起源は?

芹の付く古代苗字の起源は? 芹沢とは湿地性の芹の生えた沢の意味ではない。 芹沢(せりさわ)←金羅草羅(せらさわら)で、金(せ)は鉄(くろがね)、羅(ら)は国、最後の羅は省略。朝鮮半島の草羅は慶尚南道の金海、 よって、芹沢とは鉱山・鍛冶の地であ…

つづき

つづき、 安達藤九郎盛長の子孫は、支配頭の藤原姓小野田氏の所領の名跡を次々と獲得していく。 兼広の曽祖父の相継(上野介)の所領上野国勢多郡、孫の景村、大室荘(前橋市)を領し、大室を称す。 また、父国重(下野掾、出羽介)の領地では、二男時長が最…

つづき

つづき、朝廷支配から鎌倉幕府の武士政権の体制への変換で、 先の現象は諸国の朝廷支配地で発生したのである。 支配者1に対し、領民はその何十倍はいた。 その領民が時の政権から権力をもらい、各地で主人を吸収できる立場となったのである。 つづく。

つづき

つづき、藤原姓小野田氏は、上総国小野田郷(千葉県長生郡長南町小野田)より起る。諸国の安達(苗字)一族はその支配頭である藤原姓小野田氏の名跡を継承する。言い換えれば、鎌倉倉幕府の重臣となった領民が、本貫地を所望して支配頭の地位を取って代わっ…

つづき

つづき、婿になったと思われる。 領民の代表の安達藤九郎盛長が支配頭の藤原姓小野田氏に代わってその名跡を継ぐ。 尊卑分脈に「藤原魚名―・・・―兼広(小野田三郎)―盛長(小野田藤九郎、安達六郎)―・・」とある。 茂木和平著埼玉苗字辞典より。

なぜ、たくさんの人々が源平藤橘の出自を公言するのか

なぜ、たくさんの人々が源平藤橘の出自だと公言するのか、その一因はなにか、考えてみた。 貴族が朝廷から拝領した領地には土着の領民がいる。その貴族につながる者が下向し代を重ねた場合、かならず、女子が跡継ぎとなることが起る。これは、必然。 領民か…

つづき

つづき、源氏は天皇から出ているので、本名(苗字)ではなく、組織名であり、「源氏の出であれば組織名は源となる。」に修正します。

蜂須賀小六正勝

蜂須賀小六正勝、 まず古代苗字の蜂須賀←葉地金曷(はちすか)と解釈し葉地は葉木(はこ)ノ国、金(す)は鉄(くろがね)、曷(か)は邑、韓(から)国出身の鉱山・鍛冶の集落。 正勝の先祖は蜂須賀郷の土豪で在名の蜂須賀を名字としたが本名(苗字)は分か…

本日は安斎、安西などの古代苗字の起源は?

つづき、安斎、安西(あんざい)などの古代苗字、 朝鮮半島現在の慶尚南道の咸安に安羅の国があった。この国の出身者を安斎といった。 この場合の斎(ざい)は百済の済(さい、わたり)で海洋民を意味する。 安斎とは咸安が百済に属していた頃、安羅出身で海…

本日は、芦、姉の付く古代苗字の起源?

本日は、芦、姉の付く古代苗字、 朝鮮半島、現在の慶尚南道の咸安に安羅の国があった。 この国の出身者を安胡→安子(子はこ、し、ね)と読んで、芦(あし)、姉(あね)、安古(あこ)と佳字を使った。 芦田とは芦(葦)生えた田んぼの意味ではなく、安羅出…

つづき

つづき、秋田城介義景の子頼景は石戸(いしど)荘の生まれで、石戸(せきど)と呼び、関戸を称した。 後世、子孫がおられれば、 名跡の関戸を家名として今日に至っていると思われる。 以上、藤九郎盛長の苗字と名字でした。

つづき

つづき、出身地は丹波国。 根拠1.盛長の子大曽禰時長の子長泰に伝領される。 九条家文書「文永二年十一月十九日、丹波国多紀北荘預所職大曽禰長泰」とある。 根拠2.足立氏、現在、氷上町四百三十七戸、青垣町八百六十戸あり。 茂木和平著埼玉苗字辞典より抜…