2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

つづき、 宗忠、一族に列す。その子、重行の子孫小姓組に列す。宗忠の子、常清は貞山公九男を養子とし、名実共に伊達一族となる。その後、何度となく他家からの養子で、名字の宮内の名跡を家名としてつなぐ。 了。

ここで、古代苗字の余頃(よころ)の起源について、 余頃←余胡羅(よごら)で、ら行母音転訛し、ら→ろ、 その起源は、渡来人百済扶余族の集落をいう。胡は渡来人、羅は国を意味する。 ちなみに、余頃は横田(余胡田、田も集落を意味する)と同族になる。

つづき、宮内因幡宗誠の本名の苗字は遠藤であった可能性はある。これは未調査で今後の課題である。名字遠藤は所領を苗字遠藤族が居住する地域を所望することが通例になっていた、と茂木和平古代苗字起源説はいう。つづく。

つづき、盛兼の孫の盛実には子がなく、宮内因幡宗誠の子、宗実を養子にする。まだ遠藤氏。その子宗忠は伊達保山公の名により、宮内と名乗るようになった。つまり、遠藤氏は在地の宮内氏に吸収されてしまったのである。遠藤氏が入部する以前から宮内因幡宗誠…

つづき、 ちなみに、当家の4代前は長女が家を継いで、その弟の長男は分家しております。 さて、話を戻して、系図によると、伊達持宗に属し、遠藤盛兼は羽前国置賜郡宮内村を采地に賜った。盛兼は名字の宮内を名乗っていない。 つづく。

遠藤氏族の名字の宮内氏、 系図をみると複雑で、何代にも亘って直系男子で継ぐのは困難であることを、この系図は教えてくれる。 言い方を変えれば、いろいろな家から養子に入って名字の宮内氏の家系をつないでいるのである。 詳しくは、つづきで。

名字の宮内のつづき、 川崎市中原区宮内に宮内春日神社が鎮座している。 当地の稲毛は九条家の地頭請地。その関係で、中心地の宮内に奈良の春日神社から移した。この宮内はいわゆる神社のまわりの地域の宮内なのか、いまのところわからない。 宮内の地名が神…

本説と従来説との本質的な相違。従来説は名字を名乗る人が所領地を下賜され、その後その領民はその領主にちなんでその名字を初めて名乗り始めた。本説では領主(苗字は異なる)は名字と同じ苗字の人々が住む領地を下賜れ代を重ね領民と領主は婚姻関係を持ち…

つづき、宮内二郎はそれ以後の史料に登場していません。 もし、宮内二郎の子孫がおられて、加藤に復姓したのかが興味があります。もし、登場した史料があれば、お知らせください。 泉州に宮内二郎は登場しますが、別系と思います。 加藤氏は河越氏の御内人で…

今までは、苗字の宮内について。 名字の宮内について少し書きます。 当方、苗字の加藤が名字を名乗ったのは、紀州那智山米良文書にある加藤名字注文でしか、確認がとれていません。 そこで、1400年代、加藤藤左衛門の子息、宮内二郎が登場します。 現川崎市…

自分の名乗っているのを探すのに鎌倉時代ごろまでの史料にのめりこんでいる皆さんへ、 自分が現在名乗っているのが苗字であればそれは名字でありますのでいくら頑張っても木に竹を接ぐの喩えのように意味のないことです。 「新説 日本人の苗字とその起源」に…

従来説では、神社の周りの地域を宮内といいますが、宮内神社は説明困難ではないでしょうか。鶏が先か卵が先かに陥ります。神社が先ではなく、宮内という地名が先であればその説明困難は解消されます。未族の集落の宮内の地名が先にあって、そこにできた神社…

つづき、 常陸、下総国の公称の宮内氏には、 鹿島文書、至徳(1384)百姓足分帳に、みや内彌平次、 鹿島大禰宜系図、永正頃(1504) 宮内孫二郎繁元が出ている。 海上氏一族に、時景 宮内左衛門尉、こちらはクナイとして名乗ったか。 などがいる。

つづき、従来説では、宮内さんは、神社創建前どう名乗っていたのかが想像できない。ところで、銚子市に宮内さんが1千軒はおられる。銚子市内とその地域に、宮内の地名を十分に調査してはいないが見つからない。今のところ、古来からの宮内族と考えざるを得な…

つづき、 従来説では、宮内は神社の周りの地域をいうので、 神社が創建される以前では、 宮内以外を私称あるいは公称、または、名無 しの権兵衛であったことになる。茂木和平古 代苗字起源説では、日本列島に渡来直後から 苗字の宮内を私称した。それは、未…

つづき、 現在、苗字の青木を名乗っている場合、近隣に青木の地名が見当たらないのは、日本列島に渡来直後の古代の青木屋敷(数軒ほど)が地名に残らず、消滅している、と考えられる。 苗字の青木を私称後、現在、公称に至っている。 この辺の様子を宮内を例…

つづき、 茂木和平古代苗字起源説では、出身地の近くに自分と同じ地名を探し、そのどれかが先祖の出身地である可能性はあるがそれには条件が必要。 1.先祖がその領主であった。その名跡を家名として現在名乗っている(名字) 名字とは異なる苗字をもっている…

つづき。ある史料にある地域に青木の地名が登場しても、その青木の地名が初めて名付けられた年代が書いてない限り、その地名の由来を言うのは信憑性を持たない。というのは、日本語は日々変化しており、そのときの青木を表す日本語が何であったかが問われる…

青木の由来が全く異なる理由(わけ)。 茂木和平古代苗字起源説では、古代苗字は日本列島に渡来した人々が私称し古代朝鮮語での祖国朝鮮の出身に由来している。 一方、地形説では確立された日本語でその地名の由来を説明している。 よって、それぞれの青木の…

古代苗字の青が付く苗字、青木、青山、青田、青野、青沼、青沢などで、 茂木和平古代苗字起源説は、すべて青族(大(おお)国(後の百済)出身で自らの集落を青と唱えた人々、あおはおおの転訛)の集落。 しかし、地名研究家は青木とは断崖の地形という。 同…