2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

名字と苗字の変遷の概略

名字と苗字の変遷の概略、 源平藤橘などの貴族 藤原〇〇(公、古代)・・九条(屋敷)〇〇(公、中世)・・九条〇〇(公、現代)組織名、屋敷名を公に名乗り続け、 一般の人々 加藤〇〇(私、古代)・・宮内(村)〇〇(公、中世)・・加藤〇〇(公、現代)…

古代苗字の鮫島

古代苗字の鮫島(さめじま)の起源、鮫のいる島ではない。 鮫島←佐(さ、草)目(め)島←草羅(さわら)目島で、慶尚南道の梁山、古名が草羅あるいは匝羅(さわら)出身の渡来人の集落をいう。目は場所、島はなわばりで集落を意味する。

本日は、鯨の付く古代苗字

本日は、古代苗字の鯨が付く苗字、 例、鯨井、鯨岡、それぞれ、鯨の井戸、鯨の岡ではない。これでは、意味不明。 鯨の枕詞は伊佐(いさ)、これは、磯(いそ)と同じ。 よって、鯨井の井は助詞で、鯨井は海洋民磯族、鯨岡は海洋民磯族の百済人集落を意味する…

古代苗字の森、森田

古代苗字、森、森田などの森(もり)について、山(もろ)の、り←ろと転訛で、森(もり)になる。『日本書紀』・神代上に「・・、曽尸茂梨(そしもり)・・・」とあり、この茂梨(もり)は都の意味で、山と同様に集落の意味となる。盛(もり)、守(もり)は…

古代苗字の村のまとめ

古代苗字にある村(むら)のまとめ、 茂木和平古代苗字起源説では、村(むら)、室(むろ)、牟礼(むれ)、毛呂(もろ)、山(もろ)は、ま行、ら行の転訛も含め、読みが同じであれば、その意味するところも同じで、漢字は単なる当て字、となる

古代苗字の中村、追伸

中村の起源再ツイート。中村(なかむら)←那曷室(なかむろ)←那曷茂呂(なかもろ)←那曷山(なかもろ、なかむれ)で山を追加。 古代朝鮮語では那曷、山は集落の意味。 古代日本語では、ま行、ら行が転訛。よって古代苗字の中村とは中族(集落を中と唱える人…

古代の屋敷地名の佐藤んち、鈴木んちの消滅

「何屋んち」という屋敷地名の消滅、現在、大姓の佐藤村、鈴木村は全国にほとんどみられない。本説では、古代、たくさんの佐藤んち、鈴木んちがあったが、併合消滅したと主張。

古代苗字の中村

古代苗字の中村、中村という村ではない。 中村(なかむら)←那(な)曷(か)室(むろ)←那曷茂呂(もろ) ま、み、む、め、もは相互に転訛する。 ら、り、る、れ、ろも相互に転訛する。 古代朝鮮語で、那は国、曷は村、もろは集落を意味し、 中族の集落をい…

まとめ、茂木和平古代苗字起源説

まとめ、茂木和平古代苗字起源説は従来説に異論を唱える。 1.日本列島に渡来後、他人を区別するために「あだな」あるいは「何屋んち」というほどの苗字を私称した。公には名乗らなかったが、鎌倉時代以降、徐々に公にも使うようになった。2.現在ほとんどの人…

つづく、一方、従来説では

つづき、一方、従来説では、 皆さんの名乗っているのは、名字である。その名字とは、現在(戦国時代ころを含む)その地名が、小字、字、村名として残っているものである。そこに以前から住んでいた住民はその支配者がいなくなるとその支配者の在所名や名字に…

再再度、苗字と名字

再再度、苗字と名字、 茂木和平古代苗字起源説が主張する苗字とは、小字にもならない数件の集落である屋敷地名「何屋んち」と言われる屋号ほどのもの、小字や屋敷名が併合されて村の誕生で消滅してしまった。ほとんどの人はこの苗字を現在名乗っている、と本…

苗字(本名)と名字(在名)の違い

再度、苗字(本名)、名字(在名)の違いを説明します。 苗字とは本名であって、日本列島に渡来した直後の「あだな」というほどの名である。 名字とは、所領を持ち、その所領地名を公に名乗った名である。よって、所領地が変れば、名字も変る。所領地を失っ…

茂木和平古代苗字起源説による先祖調査の注意点

茂木和平古代苗字起源説による先祖調査の注意点。 源平藤橘より始まる系図ではそれ以後は名字(在名)ですがそれ以外の系図ではそれが名字なのか苗字なのかを確定する作業が必要。同じ名字(本名(苗字)は異なる)でもみなさんの名乗るのが苗字ですと木に竹…

気仙沼地方の苗字熊谷氏

茂木和平古代苗字起源説、気仙沼地方の熊谷氏、宮城県本吉郡気仙沼郷赤岩館『熊谷家記』に「熊谷直実―直家―直宗―直鎮―直光―直時―直明」とあるが直時の兄弟七人あたりから土着の苗字・熊谷氏であろう。武蔵国の名字・熊谷氏(苗字(本名)は熊谷ではない)と…

慶尚南道熊川出身

韓国慶尚南道熊川出身、津軽および鹿角地方に土着し、熊川の川(なり、成)をとって、苗字成田を用いた。なお、田は古代朝鮮語で集落の意味。 一方、奥州太平洋岸気仙沼地方に土着し、熊川の熊をとって、苗字熊谷を用いた。なお、谷(がい)は、垣内(かいち…

成田氏

名字、成田氏(埼玉郡上之村字成田、熊谷市)藤原頼通の子孫ではなくその家司だが藤原に付会。『粟生氏系図書』「藤原道長―宇治関白頼通―民部大輔(任隆是也。宇治殿五男、上野国に住す)―羊太夫(カラシナノ大明神と号す)」 古代苗字成田←川(なり、都)田…

つづき

児玉党の名跡継承者の例、血縁のない出稼衆。 『紀州那智山米良文書』に「塩谷系図。有貫主遠峯―本庄太郎家弘―同次郎家行―塩谷平五大夫家遠―家経―家朝―家氏―盛家―又太郎家時。系図正文御宝前在之、有道家時判。高島二郎太郎家直法師正法」と。 家直は都賀郡…

つづき

つづき、惟の字を通字としており、平惟幹の家臣であったかもしれないが、この有道氏は群盗の僦馬の党であった物部氏であろう。有道氏は久米物部の居住する児玉郡浅見村へ移住して、遠峯(こだま)を名乗って、児玉党を創設した。つづきで、児玉党の名跡継承…

つづき

つづき、児玉党の創設の系譜『古代氏族系譜集成』に「物部豊日乃連(大部連)の後裔、稲足―氏道(大部を改め、有道宿祢)―雄継―氏継―惟材―惟広―惟能―児玉有貫首惟行―遠峯(こだま)有大夫弘行(武蔵国御牧別当)」と。系図の別当とは神社の別当を努めた修験…

つづき

児玉党、つづき、そして、源頼朝から、児玉村ノ〇〇と謁見したが、手柄を上げ、児玉〇〇尉〇〇と名乗りをいただき、児玉村を所領に拝領した。しかし児玉村の住民からは嫌われ者であったろう。よって児玉党の系図にたくさんの名字や通字の異なる人たちがでて…

つづき

児玉党、つづき、室町時代に系図作成者が、吾妻鑑等をもとに、児玉党の系図を作成した。従来説では、系図上では弟で、名字が変わっている場合その名字の家(そもそもその家はない)に養子に入ってその名字を名乗った、と。しかし赤の他人であればその出身地…

つづき

児玉党、新説では、児玉党の創設、1.親分子分、兄弟分の戦を生業とする集団である。2.村の嫌われ者であるから、名字地に住んでいるのではなく、そこの出身者である、が前提。この人たちが、児玉村に集結して、源頼朝に謁見し、手柄を上げ、出身地の村を名字…

児玉党

児玉党、新説茂木和平古代苗字起源説。「武蔵武士」は、1.系図は血縁者からなる、2.名字を名乗っている人々は、その名字地に住んでいる、という前提に立っている。新説では、両方とも否定。戦が始まったとき、従来説では、諸所のところから参陣しなければな…

追伸

追伸、 後北条氏が猪俣の武士組織を作ったのが先か、猪俣を名乗って謁見したのが先かは、卵が先か鶏が先か、と同じかとも思われます。 茂木和平古代苗字起源説は、猪俣は血縁のない武士組織と主張。猪俣を名乗った多くは本名の苗字に復姓した。 現在、猪俣を…

「武蔵武士」渡辺世祐、八代国治著に異論

「武蔵武士」渡辺世祐、八代国治著(有峰書店)の武蔵武士の名は全国に広まった、に茂木和平古代苗字起源説は異論を唱えます。 武蔵武士の名は名字であり所領地と切り離せない。幕府が崩壊すれば新しい所領地の所有の権限もなくなり名字を名乗れないからであ…

さらに、具体例を挙げ、説明

では、例を挙げ、具体的に説明してみます。 民主党は政治的組織ですが、菅直人首相は、民主党の総裁でもあります。よって、民主総裁直人で公に通じます。ここで、菅は本名(苗字)となります。 同様に、後北条氏は猪俣という武士組織を作り、官途と抱き合わ…

通説とは異なる点を強調したい

ここで強調しておきます。 通説では、猪俣を名乗る家があったという前提で猪俣家に養子に入ったことによって、猪俣を名乗ったことになる。しかし茂木和平氏の見解は、猪俣家はなかったという前提に立ち、猪俣とは、戦国時代においても組織名であったというこ…

戦国時代の猪俣氏の例

戦国時代の名字の猪俣を名乗る例、猪俣能登守邦憲、 苗字(本名)は白石村の小菅氏であった。 小菅氏所蔵の『猪俣系図』に「猪俣能登守―白石播磨守宗平―白石播磨守宗清(兄猪俣能登守邦憲)―白石新十郎宗正(小菅理兵衛に改む、慶長一〇年卒)」とある。

猪俣党のつづき

猪俣党のつづき、 戦国時代になって、猪俣の名跡を継いで、猪俣を名乗った、本名(苗字)が異なる人たちがたくさんでてきた。 この人たちは、後北条氏に当初、猪俣を名乗って謁見しその後の戦で手柄を上げ、官途を得て、猪俣〇〇守〇〇と名乗った。この人た…

猪の付く古代苗字

ここで、猪の付く古代苗字の起源について、 例1. 猪俣←井ノ真田(いのまた、真、秦)←井ノ秦田で、磯族秦氏の集落、 例2. 猪口←井口←磯口で磯族の集落、 例3. 猪鼻←井ノ葉奈←井ノ葉木奈で、葉木ノ国(はこのくに)は韓(から)国の別名で、磯族韓国出身の集…