2011-08-20から1日間の記事一覧

通説とは異なる点を強調したい

ここで強調しておきます。 通説では、猪俣を名乗る家があったという前提で猪俣家に養子に入ったことによって、猪俣を名乗ったことになる。しかし茂木和平氏の見解は、猪俣家はなかったという前提に立ち、猪俣とは、戦国時代においても組織名であったというこ…

戦国時代の猪俣氏の例

戦国時代の名字の猪俣を名乗る例、猪俣能登守邦憲、 苗字(本名)は白石村の小菅氏であった。 小菅氏所蔵の『猪俣系図』に「猪俣能登守―白石播磨守宗平―白石播磨守宗清(兄猪俣能登守邦憲)―白石新十郎宗正(小菅理兵衛に改む、慶長一〇年卒)」とある。

猪俣党のつづき

猪俣党のつづき、 戦国時代になって、猪俣の名跡を継いで、猪俣を名乗った、本名(苗字)が異なる人たちがたくさんでてきた。 この人たちは、後北条氏に当初、猪俣を名乗って謁見しその後の戦で手柄を上げ、官途を得て、猪俣〇〇守〇〇と名乗った。この人た…

猪の付く古代苗字

ここで、猪の付く古代苗字の起源について、 例1. 猪俣←井ノ真田(いのまた、真、秦)←井ノ秦田で、磯族秦氏の集落、 例2. 猪口←井口←磯口で磯族の集落、 例3. 猪鼻←井ノ葉奈←井ノ葉木奈で、葉木ノ国(はこのくに)は韓(から)国の別名で、磯族韓国出身の集…

猪俣党創設の私見

猪俣党創設の私見、 猪俣村に参集した、戦を生業とする輩(茂木和平氏は出稼ぎ集団という)は平氏討伐の源頼朝の陣に謁見し、猪俣村ノ〇〇と名乗り、交名を交わした。 その後の戦で手柄を上げ、官途名を受け、猪俣〇〇尉〇〇と名乗るようになり猪俣党という…