2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

刑部

刑部、允恭天皇の皇后、忍坂大中姫の御名代部。武蔵国造族刑部直(おさかべのあたえ)は、武蔵国に居住する刑部を管理管掌する。古代氏族系譜集成に「兄多毛比命(武蔵国造、奉祭氷川神)―荒田比乃宿祢―宇志足尼―筑摩呂―刑部忍敷(刑部直)」と見える。 茂木…

三枝部

三枝部、第二十三代顕宗天皇の御名代部。 三枝部は、鍛冶集団の額田部と同族で、三枝部連がこれらを支配管理した。 ちなみに、額田は糠のことで、鋳物製造で最も必要な物であった。 なお、養老五年下総国葛飾郡大島郷戸籍(杉戸町、幸手市付近)に「戸主孔王…

日奉部

日奉部、敏達天皇が天照大神を祀り奉るために設けた品部を日奉部と、日奉の職業を持ちかつ敏達天皇の舎人部を日奉舎人部という。 下総国海上郡(千葉県海上郡海上町、銚子市付近)出身の他田(おさだ、訳語田(朝鮮語の通訳の集落))日奉部を支配管掌したの…

私部

私(きさい)部、私(きさい)は后(きさき)の転訛で、 私部は皇妃の封民をいう。 皇后(おおきさき)の封民を大私部(おおきさいべ)という。 養老五年大島郷戸籍に私部を名乗る人が見える。大島郷は、埼玉県杉戸町、幸手市、鷲宮町付近一帯。 下総国葛飾…

藤原部、つづき。

つづき。養老五年『下総国相馬郡意布(おふ)郷戸籍』に藤原部の人々の名がたくさん見える。 大国(百済)の渡来人を藤原部の御名代部に組み入れたのである。 ちなみに、千葉も百済の別名であるが伽耶語である。 奥州太平洋岸は新羅・伽耶の渡来人が多く土着…

藤原部

藤原部、允恭天皇妃の衣通郎姫(そとおしのいらつめ、雄略天皇の母)の居住していた大和国藤原宮にちなみ、姫の御名代部として藤原部を定めている。 天武天皇が藤原夫人(鎌足の娘)に賜った歌には「大原の古りにし里」とある。 大原(おはら、小原)の別称…

明日は、藤原部

乞うご期待。

孔王部

孔王部、第二十代 #安康天皇 の御名代部として穴穂部を設置した(480)。下野国猿島郡伏木村字穴太(あなほ、茨城県境町)、葛飾郡大島郷の孔王部を支配管掌したのが下海上国造(しもつうながみのくにのみやっこ)の孔王部直(あなほべのあたい)で大島郷は上…

古代苗字の山内、川内の起源について

古代苗字の 山内 と 川内 の起源、山(やま)は古代朝鮮語で山(もろ)で村、川(かわ)は川(なり)で非農民の商工業者の集落であり、 それぞれ海洋民の山(やま)族の集落、 海洋民の川(かわ)族の集落をいう。 明日からは、所属する農民が公に名乗った部…

茂木古代苗字起源説、つづき。

茂木和平古代苗字起源説、つづき。室町時代になると、論功行賞により、例えば、出身は武蔵の国ではないが自分の苗字と同じ名の武蔵国の村を所望した。この村は鎌倉時代に武蔵七党が名乗った名字地である。 そして系図では出自を武蔵七党に付会した。拙著「日…

茂木和平古代苗字起源説。

茂木和平古代苗字起源説、 鎌倉時代に所領地名を名字として公に名乗ったが幕府が崩壊し、その所領地を失えば名字を名乗れなく以降本名の苗字を名乗る。 一方、地方豪族として存続した島津、伊達氏などは名字を名乗り続けた。 所領地を失っても、まれに名字の…

古代苗字の寺内と宮内の違い

古代苗字の 寺内と 宮内の違い、 ともに、寺、宮(神社)の内側の意味ではない。 寺内←手羅渦(てらうず)で、海洋民の手部の機織などの手工業者、宮内←未谷渦で、海洋民の未族(ひつじ族)の集落を意味する。

古代苗字の渡辺、和田の起源について

古代苗字の 渡辺 、和田 の起源について、海(はた、わた)の佳字に渡、和田を用い、その集団(部)を渡ノ部、ノがナに転訛して、渡辺、 渡部 となった。南加羅の海岸部に、和陀(わだ)村があって和田は、この地の出身者。渡辺、渡部と同族である。 明日は…

明日は、古代苗字の和田、渡辺の起源について

明日は、古代苗字の和田、渡辺の起源について、 乞うご期待。

古代苗字の大田、中田、小田、大野、中野、小野の起源

大田、中田、小田、大野、中野、小野の各古代苗字の起源、それぞれ、大(おお)、小(お)は大ノ国の百済。百済からの渡来人の、中(なか)族の、百済からの渡来人の集落をいう。野は助詞で意味はなく、それぞれ百済、中(なか)族、百済からの渡来人をいう…

古代苗字の上田、中田、下田、田上、田中、田下の機嫌

古代苗字の上田、中田、下田、 上(ほとり)で海辺、上田とは、海洋民の、 中田とは、中(なか)族の、 下(しも)は浦の意味で、海洋民の集落をいう。 田上、田中、田下、この場合田は大ノ国の大で百済を指す。よって、それぞれ、百済からの海洋民、百済か…

明日は、上、中、下の付く古代苗字の起源について

古代苗字の上田、中田、下田と、田上、田中、田下の起源いついて乞うご期待。

古代苗字の小豆畑の起源いついて

古代苗字の、小豆畑(あづはた) の起源について、もちろん、小豆(あずき)の畑(はたけ)の意味ではない。 小豆畑→安津秦→安羅津秦(あらつはた)と転訛を遡ると、 安羅は現在の、韓国慶尚南道咸安からの海洋民(津)の秦(はた)氏に辿りつくのである。 …

松の付く古代苗字の起源いついて

鍛冶集団の首領で物部氏の祖・饒速日尊(にぎはやひのみこと)の子は宇麻志麻遅命(うましまちのみこと)などという。宇麻志は立派なの意味で首領。麻遅の佳字に、待、町、須(まつ)、松。松下とは須下で慶尚南道金海の古名を須奈羅(すなら)、金(す)は…

明日は、松の古代苗字

明日は、松下などの松の古代苗字について、 松下は、松の下ではない。 松平は、松が平(たいら)ではないなど。 松(まつ)は全くの当て字、つまり、佳字で、 木の松とは無関係。 乞うご期待。

二字の制について

二字の制、古代苗字の宮を例に、宮野、宮沼、宮井などの野、沼(野に同じ)、井などは助詞で特に意味を持たない(沼も、野(ぬ)と読み、助詞であることに注意)、 宮田、宮川、宮原、宮谷、宮山、田、川、原、谷、山は集落、 宮下、宮本、宮内の下、本、内…

埼玉稲荷山古墳の鉄剣銘の茂木和平説

茂木和平説、詳しくは、埼玉苗字辞典、第一巻、阿部 アベの一二 埼玉稲荷山の阿部氏 p.293-295をご参照ください。 稲荷山古墳の鉄剣銘にある、大王ワカタケルが居た斯鬼宮は、大和ではなく、武蔵国志木ノ宮と主張。

古代苗字の、田中と中田、本田と横田

田中 と 中田 、本田 と 横田 の古代苗字の起源、 田は多ノ国の多、中は那曷(なか)で、 田中、百済の渡来人、 中田、この田は集落、単に集落となるが、中(なか)族の集落。 本田、褒武多(ほむた)の佳字で、鞆(とも)を作製する雑工部の、横田←余子田で…

拙著「日本人の苗字とその起源」の紹介

拙著「日本人の苗字とその起源」の紹介。 この本を読むと、苗字と名字、苗字の 田中 と 中田 、 本田 と 横田 の違いなど多くの不思議に思っていることや、分からなかったことが、みなさんの中で氷解し、そして苗字に対する世界観が一変して、それはすっきりし…

高杉晋作、伊藤博文、山県有朋の古代苗字の起源

高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、 古代苗字の高杉(たかすぎ)←高_菅(すが)、すは砂鉄、鍛治・土師氏等の高(こう)氏、 伊藤←伊勢唐(とう)←磯(いそ)韓(から)で韓半島出身の海洋民の磯氏、 山県←山(もろ)曷田(かた)で山、曷は村、田は集落の意味…

明日は、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋の各古代苗字の起源について

明日は、高杉晋作 、伊藤博文 、山県有朋の各古代苗字の起源について、乞うご期待! 古代苗字の高杉は高い杉の木、伊藤は藤原氏の伊藤、山県は山のある県(けん)ではない。

西郷隆盛、大久保利通の古代苗字の起源について

西郷隆盛、大久保利通の古代苗字の起源、 大久保は、大_久_保と百済(くだら、くんなら)は大ノ国、大、久とも百済を指す。保は集落、 大久保とは百済からの渡来人の集落を意味する。 西郷は西郷←済(さい)江(ごう)←済(わたり)江(え)と分解した。 …

明日は、西郷隆盛、大久保利通の古代苗字の西郷、大久保の起源について

明日は、 #西郷隆盛 、 #大久保利通 の古代苗字の西郷、大久保の起源について、 古代苗字の西郷の起源は、難しいが、西(さい)_郷(ごう)と分解して、チャレンジする。 もちろん、西(にし)の郷(さと)ではない。 大久保は大きな窪(くぼ)ではない。 …

桂小五郎(木戸孝允)の古代苗字の桂、木戸の起源について

桂小五郎(木戸孝允)の古代苗字の桂、木戸の起源について、 桂は桂の木ではなく、縵(かつら)の佳字で縵は蔓草(つるくさ)の総称、桶のたが、頭にかぶるカツラ、人形作りの職人の集団を縵部といい、桂を名乗った。 木戸は百済の八大姓の木氏、戸は唐(と…

本日は、勝海舟の古代苗字の勝について

本日は、#勝海舟 の古代苗字の勝、スグリとも読み、村主(すぐり)と同じ。 勝(すぐり)は郷、村の首長を意味する古代朝鮮語。勝(まさる)のマサで朝鮮語の村、首長をマサルという。 大加羅(後の任那)の村主族は兵庫県芦屋市に渡来した。