2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

百済族三善姓太田氏。

三善康信は頼朝に仕え、鎌倉幕府問注所執事となる。その子太田民部大夫康連に子乗明がいる。江戸城主太田氏は乗明の系統かもしれない。つづく。

つづき、太田流関氏

太田四郎行光の弟太方五郎政家(下総国豊田郡大方郷及び常陸国真壁郡関庄を領す)―俊平(関氏を称す)

つづき

藤原秀郷流太田氏、三毳山南東麓の下野国都賀郡太田村(藤岡町、現栃木市)より起る。尊卑分脈に「秀郷―三代略―頼行―行尊―大田大夫行政―小山四郎政光、弟下河辺庄司行義。行政の弟大田四郎行光―大河戸行方、弟行広。行光の弟太方政家。頼行の弟行則―大田行高―…

tsuduki

太田氏

太田氏。まず、幡羅郡太田村より起る猪俣党太田氏。 小野氏系図(畠山牛庵本)「河勾六郎政成―能成―好保―政直(太田三郎)。能成の弟宗成(太田六郎)」

つづく

白井城主長尾景仲の三男景頼の子景敦の本名は? まず、藤岡市東平井高源寺供養塔に「景敦・俗名岸和泉」とある。 景仲子景信子景春は渋川に寄居を築き岸大学等七騎を置いている。 景敦の本名は岸氏である。 岸景敦が長尾の名跡を名乗ったのである。

つづき

長尾(深井)六郎次郎景孝の本名、 総社長尾氏の左衛門佐景孝(平五、仁英全恵)とは別人。 深井家系図(寿命院所蔵)に上州白井の城主長尾左衛門尉景春の孫、その子深井対馬守景吉。すでに景春の家臣に深井対馬守の名がある。 よって、この深井氏は武蔵国出…

つづき

白井長尾氏。景忠―清景―景守―景仲(鎌倉長尾新五郎房景子)―景信―景春―景英―景誠―憲景(総社長尾尾張守顕忠子)―憲春(弟輝景、その弟景広(上杉景勝の家臣となる))。やはり、白井長尾の十代の名跡は鎌倉長尾、総社長尾から入ることによって維持しているの…

つづき

つづき。犬懸長尾氏。鎌倉長尾新五郎景英の弟出雲守満景―景永―憲景(満景の子実景子)―房清(実景子)―景明(鎌倉新五郎房景の子白井長尾景仲の子)―景利―景義―六郎、弟孫八郎。 犬懸長尾氏の名跡の組織は鎌倉長尾氏、白井長尾氏から入ることによって、確固…

つづき

つづき。鎌倉・足利・館林長尾氏。 景忠―景直―鎌倉長尾新五郎景英―房景―実景(景英の弟満景子)―足利長尾但馬守景人―定景―景長(景人子)―憲長―当長―顕長(由良成繁二男)

つづく

つづき。 総社長尾氏。 名跡は男子直系で数代しか続いていない。 景忠―二代略―忠政―景棟―良済(景棟弟、早世)―忠景(白井長尾景仲、実鎌倉長尾房景子二男)―顕忠―顕方(顕忠弟弥五郎子)―景秀。忠政の弟憲明―二代略―憲景(沼田持泰子)―定明(忠景子)―顕景…

長尾氏

平姓長尾氏、相模国鎌倉郡長尾郷(横浜市戸塚区)より起る。 長尾系図(群書類従)に「村岡五郎良文―三代略―鎌倉権五郎景政―景次―長尾新五郎景行―四代略―左衛門尉景忠(法名教阿弥、尊氏将軍に従ふ)、弟豊前守景春(越後長尾祖)」、とある。 足利長林寺所…

佐々木氏流大塚氏

佐々木氏流大塚氏、近江国蒲生郡大塚村(蒲生町)より起る。あるいは、在名ではなく埼玉郡新堀村の苗字大塚氏で、佐々木氏に所属して佐々木氏族大塚氏を称し、自己の苗字と同じ地名の葛飾郡大塚村(杉戸町)を所望し賜るか。

佐々木氏流金田氏

菖蒲城主金田氏、佐々木氏流にて近江国蒲生郡金田村より起る。子孫、埼玉郡柴山村佐々木氏系図に「佐々木近江守左京太夫満高―金田一徳左衛門友綱―金田式部丞則綱(菖蒲城主)―佐々木源左衛門尉氏綱―四代略―治部某(柴山村に移住)」、とある。 古河公方足利…

つづく

宇多源氏佐々木氏、近江国蒲生郡佐々木庄小脇郷(八日市市)より起る。尊卑分脈「宇多天皇―五代略―経方(佐々木宮神主、佐々木下司、初め佐々木小脇楯に住す)―佐々木源大夫季定―秀義(頼朝に仕へ功あり)―二代略―泰綱(六角祖)」京都六角に居住して六角氏…

佐々木氏

佐々木氏、古代氏族系譜集成に「孝元天皇―大彦命―五代略―佐々貴山倭帒宿祢(賜佐々貴山君)―二代略―香留(近江国蒲生郡大領)」とある。佐々貴山君は佐々貴山部の支配管掌者である。配下の阿部族山部集団は佐々木を称す。 全国の佐々木さんはこの子孫であろ…

つづき

つづき。上杉朝昌の子東永、還俗宇田川郷右衛門。品川宿に宇田川氏がたくさんいる。東永の本名宇田川氏。 松山城、鉢形城、忍城士、児玉郡の上杉氏については、 埼玉苗字辞典の上杉の項を参照下さい。

つづき

川越城の上杉氏、持朝―顕房―政真、顕房の弟定政―朝良(実朝昌子)―朝興(実朝寧子、弟左近太夫朝成)―朝定―和泉殿正信(高麗郡上広谷村の岸田氏養子)。定政の弟、朝昌―朝寧―憲勝(実朝寧弟)。 持朝から四代目には朝昌の系統で上杉氏の名跡をつないでおり、 …

つづき

氏憲の弟憲国、憲国―憲景―憲次(杉本を名乗る)―憲吉(母方の望月氏を名乗る) 憲国は憲盛の子ではない。氏憲の弟でもない。 憲盛の娘(安中城主安中左近に嫁す)の子(あるいは、孫)の安中右近が水戸家へ仕官し、名跡、上杉兵部憲国と改姓したのであろう。…

つづき

氏憲の末裔、長子憲俊(池田輝興に仕ふ)―憲昌(子孫、深谷氏)、 弟憲知(子孫、母方の久保田氏を名乗る、氏憲同居し、出身は笹井庄大豆島村(長野市)ではなかろうか)、 二子憲全(母方の小久保氏)、三子憲成(母方の小久保氏、明治に上杉に復姓)、四子…

つづく

上杉憲信(三代)の本名、庁鼻和郷に居住していた深谷憲信である。 四代、憲信の惣領房憲は、深谷房憲、 五代、房憲の惣領憲清、 六代、憲清の惣領憲賢、 七代、憲清の惣領憲盛、 八代、憲盛の子氏盛(実北条氏房二男)の弟氏憲(深谷落城浪々、信濃住)。 …

つづき

上杉憲光(二代)の長子憲長は実の子ではない。 大里郡広瀬村高橋氏所蔵系図に「憲長(法名福正寺殿松岩道雄大居士・宝徳三年九月二十四日没」、あり、 本名は、高橋氏である。

つづき

上杉憲光(二代)の子憲信と、憲光の末子の憲明との関係は?三田領出身の市川某の子憲明は憲光の名跡を継ぎ上杉を名乗り、所領地の小宮を称した。よって、庁鼻和六郎憲信とは名跡上の兄弟であって、赤の他人である。武蔵志に「・・・今は市川九左衛門宅地と…

つづき

上杉憲光(二代)の素性妻は下総国海上郡の海上氏、 よって、憲光自身も父憲英と同じく常陸国出身であろう。 埼玉苗字辞典の上杉の項、六を参照。

つづき

つづき。 憲英の子憲国、憲輔兄弟は、 常陸国筑波郡小張村(伊奈町)出身の本名、只越氏で、 憲英の名跡を継ぎ、上杉を名乗った。 つづく。

上野国守護職上杉憲英の本名

山内上杉系図「憲房―重能―能憲(養子)、重能の弟憲藤(犬懸)―憲藤の弟憲顕―四男憲英」上杉憲英は上野国守護職、庁鼻和祖であるが、上杉の血筋ではない。 実は、憲顕の養子で、本名は真壁郡出身の深谷氏である。 埼玉苗字辞典の上杉項の一、四を参照した。

上杉氏の本名の連載

上杉氏は、埼玉苗字辞典によると、親分子分の人々の集団である。 何回か、歴史に登場する上杉氏の本名を連載します。

つづき

つづき、 源頼朝の奥州征伐にも畠山重忠が先陣をつとめている。先陣の仕事は城塞を取り毀す役目であり、土木に長けた工兵部隊である。石工などの大力の持主を従えていた。 埼玉苗字辞典の秩父の項、一三鍛冶頭秩父氏を参照した。 畠山重忠について、了。