つづき

慶長年間のころより、下高野村の小谷堀の開拓に従事した武士は高橋を中心に野口、上原、小林、鈴木、日下部の各氏であったという。
まとめると、公に、孔王部(部名)→高野(名字、在名、孔王部の仲村里の里正の一族)→出戸(同左)→高橋(苗字)を名乗る。
現在、孔王部に属した他の人々の子孫も公に苗字を名乗っている。