2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

本日は、古代苗字の依田の起源について、 茂木和平古代苗字起源説によると、 依田←余田で、余った田んぼの意味ではない。余は高麗人扶余族を略した余で、 田は集落を意味するから、 依田とは高麗人扶余族の集落をいう。

本日は、古代苗字の神保の起源について、 神保(じんぼ)←秦(しん)保で、保は集落をいうから、 辰国(のちの新羅)出身の秦氏(はたし)の集落をいう。

本日は、古代苗字の照山の起源について、太陽の光で照る山の意味ではない。照山(てるやま)←寺(てら)山で、ら行が母音転訛し、照(てる)の佳字を当てた。 寺は手部の手羅で機織りなどの手工業の集落、山も集落の意味であるから、照山とは手工業の集落を…

本日は、平清盛の平の起源について

本日は、平清盛の平の起源について、茂木和平古代苗字起源説によると、 平は組織名である。平(たいら)とは多肥羅(たひら)で、百済・伽耶地方は多ノ国、また、別名は、阿羅(あら)、阿(くま)ノ国、熊(くま)ノ国、肥(くま)ノ国、肥(ひ)ノ国である…

孔王部の比定地に関する議論は、論文にまとめる予定。 論文になった時は、改めてお知らせしますので、 ご興味のある方はよろしくお願いします。

本日は、古代苗字の阿川の起源について、 阿川は阿羅川の略で、阿羅(現在の慶尚南道の咸安、羅は国の意味)の地から日本列島に渡来した人々の集落をいう。川は現代語の流れる川ではなく、当時の朝鮮語では、集落をいう。