2012-12-12 永福寺龍燈山伝燈記 永福寺龍燈山伝燈記「顕宗天皇御宇三年丁卯、勝鹿宿祢弘方海と云人、此島に狩猟の時、倭建命の故事に拠り初めて高野と名づく。上古薩天ヶ島(幸手ヶ島)と呼也。爾来、多年所を経て、入江水退し涸り、州寄り来たり土地次第に広くなり、四方より移り住む人多く成り来る。孝徳天皇御代に大島之郷と称す。 つづく。