つづく

榛沢郡矢島郷の領主岡部氏、
岡部系図に「岡部六野太忠澄―三代略―範澄―時忠―澄広―広家―政澄―忠清―清信―忠家―忠長―広房―房忠―忠勝(閑馬城主赤見氏からの婿、越前宰相忠直公の御先手)」、6代で一旦、10代で消え、忠となる。このころ、直系ではなく、名跡の継承があった、と思われる。
いいかえれば、10代を直系で継承するのは、困難である。
現在の自分は、系図に10代、20代の先祖があっても、その直系ではない、と断言できるほどである。