つづき

清和源氏太田氏。寛政呈譜に「源三位頼政―仲綱―広綱(頼政男)―隆綱(丹波国五箇庄)―国綱―資国(丹波国太田郷の太田を称す。相模国にうつる)―資治―資兼―資房―資清―資長(道灌)」
太田氏の系図はすべて道灌(歴史上有名人)につながる。
丹波国に太田郷はない。
一つ反例で系図の信用は失墜した。
国綱以前と資国以降では、通字が綱から資に変わっていることも、
どうしたことか、と問いたくなる。
系図作成者は、後世から見て、でたらめを厚顔無恥に公の系図に載せている。
公の系図でも、系図は一般的に信用できない(他の古い系図のつぎはぎなど)。
精査に耐えられる系図であれば、信用に足る系図である。